イリノイ大学留学記

イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の日本人留学生によるリレーブログ

最終ブログ #平山

今回は慶應大学から留学していた平山くんに書いていただきました!

 

8月19日、オヘア空港に翼を下ろす。長蛇の列の中で、一種の武者震いであろうか、手に握るパスポートを汗で濡らし、入国審査を待った。審査を執り行ったのはある黒人男性。対応が非常に冷たく、今後いかなる場所においてもこの種の対応が続くであろうかと考えると、少し不安に感じた。

 一通り入国審査を終えて、ゲートを出た。そこには何もない。マクドナルドと小規模な売店のみ。日本の美の源泉とも言える「無」とは全く性質の異なる、空虚ここに極まれりという程の「無」が私を待ち構えていた。シカゴはアメリカ三大都市と呼ばれ、ここオヘア空港はもちろん最大規模の空港である。一体、その空港でだれがこのような空虚で閑散とし寂れた空港を想像しえようか、いやできない。マクドナルドでハンバーガーを食べた。従業員の対応や日本では考えられない空港の雰囲気と裏腹に、その変わらないハンバーガーの味が、より不気味に感じたことを覚えている。

 慶應から同じく交換留学生として派遣されている三輪氏、そして早稲田大の緒方氏と同じバスに乗り込んだ。バスがそのタイヤを必死に回せば回すほど、畑と大型看板広告以外見えなくなる。私は現実から目を背けようと、まぶたを下ろした。

 


 目を覚ますと、キャンパス内であった。敷地面積は想像不可能なほどに広大で、なるほど、確かにアメリカ感がある。シャーマンホールなる、私たちが9ヶ月世話になるであろう寮に着いた。部屋に入った。私の家庭は決して裕福なわけではないが、上京してからもそれなりの清潔感あるマンション住まいをしてきた。その部屋は、かつて経験したことのない狭さと古さであり、バスルームに至っては最後の最後まで使用に際し、抵抗感しか感じなかったほどである。はっきり言って、私は絶望していた。今思えばこのような経験も留学の醍醐味でもあるのだが。

 セメスター開始まで少々時間があったが、オリエンテーションやイベントで毎日が新たな出会いであった。やはり多いのは中国人。イベントに参加すると、アジア人メインであるものの、のち親しき友となる者との交流も増えて留学開始前の不安も払拭されていた。会場にはアメリカを肥満大国へと成長させたピザ、不気味な色をしたソーダ類が並べられている。来たぞ、アメリカに。という感じ。授業開始の交換留学生用オリエンテーションも終わり、いよいよセメスターが始まる。

 


 こうして僕の留学生活は始まり、今、幕を閉じようとしている(唐突)。

 ブログを綴る、こんなことは今後の人生ではおそらく「32歳春、妻の尻に敷かれ、小遣い一万五千円の生活に不満が爆発、行きたい風俗もロクに行けないため広告収入を稼ごうと育毛キットの使用体験を日毎にレポするおっさんになった場合」か、「道を踏み外したため全国のラーメン店を食べ歩くというYoutube用の動画を撮ろうとするも、コメント欄で「不細工」や「息くさそう」と批判されたため悲しくなり、ブログに移行した場合」くらいしかないだろうから、どうせなら読者の皆様に有益になる情報をお伝えできたらな、と思う。“有益”の定義は人それぞれ違うと思うが、留学ブログ市場ではネガティブブログが非常に少ないことが分析されたので、留学のネガティブな側面に、あえて、触れていきたいと思う。

 

 

 

【インスタ好き髪左にかきあげ系浅黒サングラス一重ちゃんへのギモン

-----そのインスタで肩組んで笑顔で#Best Friends奴、本当に友達なの?---】 

 


わたしはイリノイ大学に来る前、アメリカ人の親友、”Brother”と呼べる友を作り、日本へ帰ろうと考えていた(下品な意味ではない)。理想としていたのは特に共通の趣味があるわけでもない、相手が特段日本に興味があるわけでもない、ごく普通の白人アメリカン(コーヒーではない)。対日本人の友人作りは私はかなり得意な方で、特に趣味が合わなくとも、タイプが違えども、仲良くなれる方だ。この僕の手にかかればどんなアメリカ人でも余裕さ、という圧倒的自信とともに最初の二ヶ月ほどであろうか、友人作りに励んだ。クラスや開催されるイベント、最初はとにかく話しかけた。しかしながら一向に“ヨッ友”ができるだけなのだ。「なに専攻なの?」「どこ出身?」「あのニュースみた?」「walking dead まじアツよ」。これを無限ループしている気分。しかも次の話題が全く思い浮かばないし、同じ話題を他の人ともしているので、一人一人が印象に残らない。こうなると話してるうちにどーでもよくなって、疲れてくる。確かに思い返すと、意識せずとも日本で友達を作る際、またアジア人と友達になる際、趣味は違えども文化的な共通点などをベースに会話していたと感じた。ごく一般的なアメリカ人とは、それが全く通じないことに気づいた。性格も、食も、政治も、テレビも、スポーツも、政治も、恋愛も、墓の形も全く異なるこの国で、どうして予備知識なしで話を広げ、彼ら彼女らと一緒にディープな関係構築ができようか、いやできない。そもそも“友達”の定義は人それぞれ違うので、一度食事に行ったり、グループワークで一緒だった程度のことで友達と定義する人もいるわけだ。だが少なくとも私の中で友達の定義はもっとディープで、その定義の友人作りには確実に文化理解が必要なのだと思った。そもそもごく一般的なアメリカ人に積極的な日本人と友達になりたい欲なんてものは存在しないだろうし、こちらがアメリカ人の友人を作りたい!と思うのであれば少し下手に出てむこうの文化理解や文化研究に尽力するのが筋であると分かった。当たり前のことであろうが、なかなか誰もができることではないと思う。私の達成できなかった目標を、次期派遣の交換留学生で私と同様の友達の定義を持っている方にはこのことに留意して、達成して欲しい。

 

【「行けたら行くわ!」←来ない と一緒】

 日常生活にしても、学業にしても、過度な期待は禁物であると学んだ。例えばスタバで従業員が携帯を見ていて顧客に気づかないこと、本屋で従業員ごとにひとつの質問に対して回答がちがう、そんなことなんて当たり前。ドラッグストアで逆ギレされることだってある。ホームレスのチンピラ黒人に路上でゲイ呼ばわりされ喧嘩売られることさえ。授業で、グループワークを期限ギリギリまでやらない・レスポンスがこないなんて当たり前。アメリカはGPAキープに必死と聞いていたのに。学部や授業によるが、内容(難易度)は日本のそれよりはるか下なこともしばしば。イリノイ大学に限っては謎の履修制限も多い。でもこれらフラストレーションの種は、どこかしら自分の中で「日本ではこうだ」や「イリノイ大はランキングの高い大学だから…」のような前提と偏見があるから起きるわけであるから、あえて最初から何も前情報がないものだと思って「マイメロだよ〜☆よろしくね♡」のスタンスでいけば、留学生活でもそれらからうまく回避できるのではないか。

 

 


 他にもたくさん9ヶ月の留学生活で学んだことアドバイスはあるが今回はここまでにしたいと思う。私の経験からのアドバイスが少しでも皆さんの役に立つことを願っている。ご相談がありましたらk09023638298@gmail.comまでどうぞ。慶應生以外も気軽に相談してください。

 最後までお付き合い頂きありがとうございました。